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ドイツから生まれたコンパクトカーの世界スタンダード

 

ドイツから生まれたコンパクトカーの世界スタンダード

 

ドイツの政治家で独裁指導体制を作った、あのアドルフヒトラーがドイツ・世界に貢献したことが実は2つあります。
その2つとは、ドイツのアウトバーン政策とフォルクスワーゲンの誕生に貢献したとされることです。
1927年にその「アウトバーン」正式には「ライヒス アウトバーン(Reichs Autobahn)」が発表され、ヒトラーの政策のもと、建設がスタートしました。計画は6900kmの計画でスタートしたアウトバーン政策は、38年には3000kmが開通し、現在では1万3000kmまで拡大しています。

 

ドイツから生まれたコンパクトカーの世界スタンダード

 

そして、ヒトラーはフォルクスワーゲンから「大人が快適に乗れて、しっかりと走れる高性能で、安価なクルマ」、初代ビートル(正式名は、フォルクスワーゲンタイプ1)の生産にも携わっていました。

 

はじめに1000ライヒスマルク以下の安価な価格帯で、頑丈で低燃費、しかも高速走行も高性能、空冷といった要素も盛り込んだ「国民車」を34年の自動車ショーで発表しています。
1000ライヒスマルクは、現在の価値で計算すると、およそ90万円程度だということで、確かに当時のドイツとしても大変コストパフォーマンスはよかったのだと思います。

 

このざまざまな条件を盛り込んだ「国民車初代ビートル構想」が当時、ポルシェ博士の作ろうとしていたクルマに重なる部分が多くあったことから、ポルシェ博士がビートルの開発に参加することになりました。

 

ドイツから生まれたコンパクトカーの世界スタンダード

第二次世界大戦中のアウトバーンの写真(1943年当時に撮影)

 

終戦後の45年から本格的に開発が進められたビートルは、耐久性に優れ、大人が4人乗っても高速道路を問題なく走るほどの実用性を高めた結果、長きに渡ってドイツの国民車として、生産されることとなりました。最終的には2153万台が売れ、人々の生活に定着することでヒトラーの計画の通り「ドイツの国民車」になることが叶いました。

 

国民車として普及させるべく、VWビートルは、大人4人乗車でアウトバーンを快適に走行可能、安価で効率よく整備ができるように各パーツは取り外しがしやすい構造にもなっていました。

 

ドイツから生まれたコンパクトカーの世界スタンダード

 

ビートルが生産されている最中にも、様々な時期後継車が作られてはいましたが、それでも代わりになるモデルになることができず、本当の意味でのビートル後継モデルは、74年に登場した「ゴルフ」まで待つこととなりました。

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